一席入魂──“焼き鳥と酒の幸福な関係”をデザインする職人
カウンターの向こうで、会話を焼く職人
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「焼き鳥は、お酒の最高の相棒です」。そう語る藤田光昭は、両国で“酒と会話”を中心に据えた焼き鳥店を営む職人である。目指すのは、派手な拡大ではなく、目の前の一席に全力を注ぐ店づくりだ。 店には40〜60代の客が多く、経営者同士の紹介で訪れるリピーターも少なくない。焼き加減や塩梅だけでなく、客の“温度”を読むようにして火を扱う。 「焼き鳥は技術だけではなく、会話で完成する料理です」。注文の合間に交わす一言が、酒の味を変え、空気をやわらげる。 「雨の中ありがとうございます」「今日は辛口で合わせましょうか」そんな短い言葉の積み重ねが、“また来たい”という記憶に変わっていく。棚に並ぶ酒は、客の好みで少しずつ増えていったものだ。 「この前おすすめされた一本、今日ありますよ」。メニュー外の提案も、藤田にとってはもうひとつの“仕込み”である。彼の店は、酒と焼き鳥と会話が三位一体で成立している。
「お酒があって、焼き鳥がある」
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藤田の哲学は明快だ。「お酒があって、焼き鳥がある。焼き鳥はお酒の最高の相棒」。料理を主役に据えるのではなく、客の時間を主役にする──それが藤田のスタイルである。 お酒が会話をゆるめ、串がその余白をつなぐ。順序やテンポはあえて固定しない。客の表情、話の流れ、杯の減り具合を見て、次の一串を決める。 「同じお客様でも、来るたびに違う。だからその夜の“ちょうどいい”を探す」。 マニュアルではなく、呼吸と感情で空間を設計する。それは、職人というより“演出家”に近い。藤田にとって焼き鳥とは、客と酒を媒介するための“会話のツール”なのだ。
東芝を辞めて、夜の厨房に賭けた24歳
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高校卒業後、藤田が選んだのは大手電機メーカー・東芝での技術職だった。 交通機器の自動改札機や販売機の改造を担当し、安定も将来も見えていた。だが、心は次第に乾いていった。「給料も休みも十分。でも、心が動かない」。 そんなある日、仕事帰りに入った中目黒の居酒屋で、料理人たちの熱気と客の笑い声に胸を撃たれた。「この空気の中にいたい」。それから藤田は、昼は東芝、夜は厨房という二重生活を始めた。 副業が一般的でなかった時代、体は限界でも心は満たされていった。そして24歳のとき、安定を捨てて東芝を退職。「雇ってください」と飛び込んだ飲食の世界で、和食で基礎を積み、焼肉で10年以上、店を渡り歩いた。 100店舗規模の企業でも働いたが、“客と直接向き合える距離”を求め続けた。 それが、後に焼き鳥という“カウンターの世界”にたどり着く伏線となる。
一席入魂。会話で火を操る
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転機は、客として訪れた亀戸の焼き鳥店だった。カウンター越しの間合い、火の音、そして会話の呼吸。「これだ」と直感した。偶然その店が新店舗の人材を探しており、藤田はすぐに志願した。 焼き・刺し・盛るだけではない。“話す”ことが仕事の中心にある焼き鳥という業態に、身体が自然と馴染んでいった。独立の背中を押したのは、料理人である妻のひと言だった。 「専門店で勝負してほしい」。何でもできる料理人ではなく、ひとつの世界観で客と向き合う。藤田の軸が定まった瞬間だった。 今の店では、価格を上げずに“ちょうどよさ”を守る。「人手不足も原価高もあります。でも、いまの価格で食べていけているし、お客様の笑顔が循環している」。利益よりも関係を優先する姿勢は、職人の矜持そのものだ。 「100人が100人、同じ満足にはできない。でも、カウンターの向こうの“いまこの人”を外さない。それだけは負けない」。
未来──増やさず、深く。80歳まで火のそばに立つ
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藤田の将来像は、あくまで現場にある。 「多店舗展開の予定はない。数を増やすより、深く磨きたい」。現在の店舗は数年内に移転予定だが、場所が変わってもスタイルは変えない。 例外があるとすれば、「門を叩く人」が現れたときだという。「自分から求人は出さない。でも、本気で学びたいという人が来て、続けられるなら、その人のための2店舗目は考えたい」。人を集めて拡大する気はない。だが、志を持つ誰かの未来のためなら、技は惜しまない。 目標は明快だ。「炭を起こし、笑顔で迎え、ひと言を交わし、客の盃に合わせて火加減を決める。それを80歳まで続ける」。 焼き鳥は技術であり、接客であり、人生のリズムそのもの。炭の音、酒の香り、客の笑い──それらが混ざり合うカウンターの時間こそ、藤田光昭という職人の舞台である。火は今日も穏やかに、そして確かに燃えている。