“「わくわく」で教育と地域の未来を創る仕掛け人
一般社団法人わくわくスイッチ 代表 中村 憲和(なかむら・のりかず)
若者・企業・学校・行政をつなぐ「舞台装置」をつくる
「人は、本来わくわくする生き物やと思うんです」。そう語る中村憲和は、三重県を拠点に、若者・企業・学校・行政の4者をつなぐ教育プラットフォームを運営する。 代表を務める一般社団法人わくわくスイッチは、教育を“投資”として捉え、学びを地域に循環させることを目的とする組織だ。中村が手がける事業は、すべて現場実践の学びを軸に設計されている。 学校現場では探究学習やPBL(課題解決型学習)の授業設計、大学生には半年間社長の右腕として挑戦する長期実践型インターンシップを提供。企業には若手育成・採用支援、管理職向けマインド研修を実施し、自治体とは地域横断の人材育成事業を共創している。 さらに、学生の挑戦を可視化する「東海学生AWARD」を主催。挑戦者を称える舞台を設け、地域全体で“若者のスイッチ”を押す仕組みを育ててきた。 「会議室の研修では人は変わらない。本物の現場に身を置くからこそ、気づきと覚悟が生まれる。うちの仕事は、その実践プログラムを設計することなんです」。
教育を「投資」に、ワクワクを「行動」に

わくわくスイッチの根底にあるのは、教育はコストではなく未来への投資という思想である。中村は言う。「株式会社やと短期利益に寄りがちやけど、教育は長期で見ないと意味がない。うちは一般社団やからこそ、学校・企業・行政の間を回遊して、調整役に徹することができる」。 「わくわく」は単なる感情ではない。行動のスイッチであり、挑戦の原動力だ。中村が目指すのは課題解決型ではなく、挑戦創出型の教育。正解を覚えるのではなく、自ら問いを立て、仲間と動き出す若者を増やすことを使命とする。
飲食業から教育へ。違和感が導いた転進
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大阪出身の中村は、大学卒業後に飲食業へ。ホールスタッフから店長、店舗立ち上げまで6年間、現場を渡り歩いた。同年代が独立し繁盛店を持つ中で、「このままでいいのか」という違和感が芽生える。 「20年も学校で学んできたのに、“自分で考える力”は教わってへん。与えられた問題は解けても、そもそも問題を立てる方法がわからんかった」。 リストラの経験が、その思いを決定づけた。「教育って、もっと人を幸せにできるはずや」。 確信を得た彼はキャリア教育のNPOの門を叩き、大学生が半年間社長の右腕として挑む長期インターンシップを運営。教育とビジネスをつなぐ経験を積む。その後は新潟、仙台へと拠点を移す。 東日本大震災後は、被災地の復興と若者支援の両輪を担い、人が立ち上がる瞬間を数多く目撃した。2015年、結婚を機に三重へ移住。 「大阪・新潟・仙台では“二番手”として立ち上げをお手伝いしてきた。次は自分で起業して、学びの循環を地域に根づかせたい」。そう決意し、一般社団法人わくわくスイッチを設立した。
“機会と出会いが人を変える”
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中村の信念は、「人は、機会と出会いで変わる」という一点に尽きる。新潟時代のある事例が象徴的だ。地元の給食会社が「子どもたちに本当においしい野菜を届けたい」と願い、農家からの直接仕入れに踏み出そうとしていた。 しかし社内に営業経験者はおらず、仕組みもゼロ。そこに大学生インターンが加わり、取引先を一軒ずつ訪問。門前払いを受けながらも信念を伝え続け、半年で数千万円規模の流通を実現した。 「1人の学生の本気に、社長の本気が重なると、現状が動き出す。やりたくてもできなかったことが、動き始めるんです」。その学生はのちに起業し、農業の現場へ歩みを進めた。 中村は確信する。「人は教えられて変わるんやなく、きっかけを掴んで自分で変わる。その瞬間をいくつ生み出せるかが、僕の仕事です」。
「わくわく」を社会の循環に変える
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創業から10年、道のりは決して平坦ではなかった。行政事業の入金が年度末に集中し、資金繰りが限界を迎えたこともある。一般社団法人は信用保証の対象外が多く、銀行融資も通らない。 それでも中村は日本政策金融公庫のソーシャルビジネス枠を活用し、事業をつなぎとめた。組織の拡大と縮小、行政方針変更による契約白紙。数々の困難を経ても、彼は前を向く。 「課題ばかり見てたら心が折れる。課題の先にある“わくわくする未来”を共有できれば、人もお金も自然と集まる。ピンチが来たら、『きたきた、燃えるやん』って笑えるようになった」。これからの10年、中村が目指すのは仕組みの継承である。 若者の挑戦を支えるため、遺贈寄付を核にした「花咲かじいさんファンド」構想を進めている。「おじいちゃんおばあちゃんの想いを、未来の挑戦へ手渡したい。教育は社会の長期投資。その“当たり前”を地域から実装したい」。 AIが発展し、労働構造が変わる時代に掲げるのは、自走できる人材の育成だ。「目の前のゴミを拾える人になれるか。自分のためだけやなく、組織、地域、社会のために動ける人を増やしたい」。 「わくわく」とは感情ではなく、行動の始まり。それは人を突き動かし、地域を変える力になる。中村憲和は、今日も“わくわく”の仕掛け人として、現場の最前線に立ち続けている。